学校紹介
学校概要
獨協埼玉中学高等学校 学校概要
| 生徒数 | 中学 436人 高校 1092人 (2025年04月現在) |
|---|---|
| 教職員数 | 128人 (2025年04月現在) |
| クラス編成(平均) | 中学 34人/クラス 高校 40人/クラス |
| 所在地 | 〒343-0037 埼玉県越谷市恩間新田寺前316 (→学校へのアクセスはこちらをご覧下さい。) |
| 電話 | 048-977-5441(代表) |
沿革
本校の歩みを、獨協学園140年の歴史とともに紹介します。
獨協の歴史 -未来は伝統の上にある-

1881年(明治14年)、獨協学園はドイツを中心とするヨーロッパ文化を学ぶことを目的に設立された「獨逸学協会学校」としてスタートしました。それからおよそ140年、現在では獨協大学、獨協医科大学、姫路獨協大学、獨協中学・高等学校、そして獨協埼玉中学高等学校を有する大きな学園へと成長を遂げています。
140年もの歴史の中では、多才な人物が獨協の歴史に登場します。まず、初代校長は西周(にし・あまね)です。江戸末期から明治初期における代表的な知識人で、「哲学」という言葉の考案者としても知られています。二代目校長は明治維新の雄・桂太郎、三代目学長は元東京帝国大学総長・加藤弘之、四代目校長はドイツ語界の権威・大村仁太郎と、実に壮観な顔ぶれです。そして、第13代学長として、獨協中学校の卒業生であり元文部大臣のカント哲学者・天野貞祐を迎え、学園は現在の姿へと発展することになります。
1980年(昭和55年)、獨協埼玉高等学校は開校しました。優れた医学者を輩出し、語学教育に長い歴史を持つ獨協の精神を継承し、多くの期待に包まれながら歩みを進めてきました。2001年(平成13年)には、待望の中学校を併設。獨協の歴史に、新たな一ページが加わりました。
獨協学園の歴史
| 年 | 内容 |
|---|---|
| 明治14年(1881) | ドイツ文化を摂取し、わが国文教の興隆を図る目的で、西 周、桂太郎、加藤 弘之ら獨逸學協会を設立 |
| 明治16年(1883) | 獨逸學協会學校設立 初代校長に西 周(後の学士会院会長)就任 |
| 明治20年(1887) | 第2代校長に桂 太郎(後の内閣総理大臣)就任 |
| 明治23年(1890) | 第3代校長に加藤 弘之(後の東京帝国大学総長)就任 |
| 昭和22年(1947) | 獨逸学協会の名称を財団法人「獨協学園」に変更し、校名を「獨協中学校」に改称 |
| 昭和23年(1948) | 新制の獨協中学校・獨協高等学校発足 |
| 昭和27年(1952) | 第13代校長に天野貞祐(元文部大臣)就任 |
| 昭和39年(1964) | 獨協大学を埼玉県草加市に開学 。初代学長に天野 貞祐就任 |
| 昭和42年(1967) | 獨協学園理事長に関 湊就任 |
| 昭和48年(1973) | 獨協医科大学を栃木県壬生町に開学 |
| 昭和49年(1974) | 獨協医科大学附属高等看護学院(現在の「看護専門学校」)開学 「獨協医科大学病院」開院 |
| 昭和55年(1980) | 獨協埼玉高等学校を埼玉県越谷市に開校 |
| 昭和59年(1984) | 「獨協医科大学越谷病院」開院 |
| 昭和62年(1987) | 姫路獨協大学を兵庫県姫路市に開学 |
| 平成13年(2001) | 獨協埼玉中学校を埼玉県越谷市に開校 |
| 平成19年(2007) | 獨協大学国際教養学部新設。 獨協医科大学看護学部新設。 姫路獨協大学薬学部新設。 |
| 平成25年(2013) | 獨協学園創立130周年記念式典挙行 |
校歌

