沿 革
本校の歩みを、獨協学園140年の歴史とともに紹介します。
獨協の歴史~未来は伝統の上にある
獨協学園は、明治14年、ドイツを主とするヨーロッパ文化を学ぶことを目的に設置された獨逸学協会としてスタートしました。それからおよそ140年、今では獨協大学、獨協医科大学、姫路獨協大学、獨協中学・高等学校、獨協埼玉中学高等学校を有する大きな学園に成長しています。
140年もの歴史があると、ずいぶんいろんな人物が獨協史に登場します。まず、初代校長・西 周。江戸末期から明治初期における代表的知識人で、たとえば「哲学」という熟語は彼がつくったものとされています。2代目校長が、明治維新の雄・桂 太郎です。3代目学長が元東大総長・加藤 弘之。4代目校長がドイツ語界の大物・大村 仁太郎と、実にきらびやかです。そして、13代校長として、獨協中学校OBで元文部大臣のカント哲学者・天野 貞祐を迎え、本学園は現在の姿へと発展することになります。
獨協埼玉高等学校は、昭和55年に開校しました。すぐれた医学者を輩出し、語学教育に140年もの歴史をもつ獨協の精神を背に、多くの人々の期待に包まれながら、順調に活動を実践しています。平成13年には、待望久しかった中学校を併設。獨協の歴史に、新たな1ページが加わりました。
獨協学園の歴史
年 | 内容 |
明治14年(1881) | ドイツ文化を摂取し、わが国文教の興隆を図る目的で、西 周、桂太郎、加藤 弘之ら獨逸學協会を設立 |
明治16年(1883) | 獨逸學協会學校設立 初代校長に西 周(後の学士会院会長)就任 |
明治20年(1887) | 第2代校長に桂 太郎(後の内閣総理大臣)就任 |
明治23年(1890) | 第3代校長に加藤 弘之(後の東京帝国大学総長)就任 |
昭和22年(1947) | 獨逸学協会の名称を財団法人「獨協学園」に変更し、校名を「獨協中学校」に改称 |
昭和23年(1948) | 新制の獨協中学校・獨協高等学校発足 |
昭和27年(1952) | 第13代校長に天野貞祐(元文部大臣)就任 |
昭和39年(1964) | 獨協大学を埼玉県草加市に開学 。初代学長に天野 貞祐就任 |
昭和42年(1967) | 獨協学園理事長に関 湊就任 |
昭和48年(1973) | 獨協医科大学を栃木県壬生町に開学 |
昭和49年(1974) | 獨協医科大学附属高等看護学院(現在の「看護専門学校」)開学 「獨協医科大学病院」開院 |
昭和55年(1980) | 獨協埼玉高等学校を埼玉県越谷市に開校 |
昭和59年(1984) | 「獨協医科大学越谷病院」開院 |
昭和62年(1987) | 姫路獨協大学を兵庫県姫路市に開学 |
平成13年(2001) | 獨協埼玉中学校を埼玉県越谷市に開校 |
平成19年(2007) | 獨協大学国際教養学部新設。 獨協医科大学看護学部新設。 姫路獨協大学薬学部新設。 |
平成25年(2013) | 獨協学園創立130周年記念式典挙行 |